記 2005-12-2

穴子料理 「ます味」

 穴子を食べ物としてイメージしたとき、蒸されて甘いタレの塗られたものが筆頭で浮かぶと思います。逆に言えば、それ以外に知らなかったのですが…。

 昨日、行ってまいりました四谷・荒木町の穴子料理「ます味」。

 ご主人のお話によると、料理の道はお寿司からはじめ、辻留で懐石を勉強されたそうです。

 戦前までは川崎屋という穴子専門店が鮫洲にあったという文献はあるものの、献立の内容までは残っていなかったそうです。各地の穴子料理を実際に食べ歩いた末に「何か違う。穴子の料理はこれだけではないだろう」と発想したお料理だそうです。穴子料理の別世界を展開してくれるお店でした。

 

 昨日、堪能したお料理を記憶の範囲で記してみます。

 先付。穴子の肝煮と若鮎の揚げ物。穴子の肝なんて初めて見ました。三センチくらいあったでしょうか、少し濃い目の煮汁でほろりという歯ざわりに出来ていました。

 すべてが初めてなわけですが、お刺身(薄造)でまずは一枚目の目のウロコが落ちました(あ、穴子にはうろこがないからね!)。青の同心円の模様が付けられたお皿に、フグ風に付けられたお刺身を、酢醤油でいただきます。三センチほどに切られた下関産のワケギ(その中でも特別なものらしい)と紅葉卸が添えられていました。貧弱な経験で表現してみると、鯛と河豚が一体化したようなおいしさ、でした。

 小鍋は、穴子の柳川風で、直径20センチ足らずの南部の浅い鉄鍋を炭火で温めた姿で登場。この「煮詰め(煮汁)」がこのお店の看板ともいえるお味と思いました。すっきりとした醤油味がほのかに甘いわけですが、これが穴子の骨を煮込んで作り出された穴子本来の持つ甘味、なのだそうです。卵とじにしても抜群においしいでしょうねぃ。開業当初は「辛い」と言われた煮汁だったそうですが、毎日「煮詰め」を重ね、二年目を迎えた頃に、ようやく目指していた味が出てきたとのこと。今日ではさらに、13年の年季の入った鉄鍋が、お料理の味にプラスアルファを加えてくれているとのことでした。

 そして本日のカルチャーショック(笑)。白焼です。おいしい。とにかくおいしい。生のままの穴子を焼いたことで、パリッとした皮の上に身が立った感じで、ふんわり。歯ごたえを音であらわすと「サクっふんわりしゃくしゃく」か。蒸された穴子で知っているベタつきがまったくないのです。さらされた刻みねぎとの相性は抜群で、静岡の訳ありのお塩でもよし、お醤油でもよし、ワサビもよし。蛸唐草風のお皿が味の品をあらわしていました。

 揚げ物。三種ありましたが、松茸を巻いた穴子に酔いました(笑)。

 穴子ご飯。ここでもご飯にまぶされたタレが厚ぼったさのない煮詰めベースなので、おなかは十分に満たされているのに、おかわり!と言いたくなりました。飯碗の中で、ご飯に生じる空間が程よく、ふっかりよそわれていて、気配りのまろやかさが口に広がりました。上にたっぷり乗せられた大葉の刻みが極細で、舌触りも風味も主張しすぎず、穴子とご飯のお味と一体化していました。飯碗の丸みも手に美味しさを感じさせてくれた感じです。シジミのお味噌汁で、ほっ。

 デザート。グレープフルーツの寒天と葡萄。グレープフルーツの皮の中に作らたものを三角に切ったもの。レモンとラム酒が入っているそうです。笑いなきしそうでした。

 

 穴子のお料理が続けて出てきても、それぞれ素材の味がまっすぐで、一品一品の味の切れがよいので、まったく飽きることがないのです。

 「赤ん坊でも、はじめて来た外国人でも、美味しさのわかる舌は変わらないんです。」

 一時しのぎの味に慣れたわたしの舌でも「おいしい」をわかったのは、「本質的なおいしさ」ゆえだったのですね。

 この日の初めの客として席に着きましたら、お茶席を思わせお香を焚いて迎えてくださいました。でも、雰囲気はぜんぜん堅苦しくなく、タッパーいっぱいに固まった煮詰(にこごり)を「これが今日の48匹分です」と見せてくださったり、穴子が南洋で生まれ、泳ぐことが出来ないので海流に乗り「ケセラセラで各地に流されて行く」、といったお話など、お料理の折々に席を訪れ、お話してくださいました。ちなみに、48匹分の穴子の頭や骨を煮詰め搾った後に残る固形物は手のひら一杯分くらいだけだそう。

 お酒はお燗で「真澄」。薄手のお猪口がスルスル飲ませてくれました。

 あと、杉の利休箸がとても使いやすかったです。

 

 「懐石の考えを用いれば、いくらでもおいしく出来る」とのことでした。

 席は、ざっと見たところカウンターの三席をあわせて十五席、かな。ご主人が外までお見送りくださるというのが、いかにも懐石の心。

 

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